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🏛️歴史クイズ 問題と解説

世界史・日本史の重要な出来事や人物に関するクイズです。古代文明から近現代史まで、歴史の流れを楽しく学べます。1207問のうち第481500問を掲載しています(25ページ目/全61ページ)。

  1. 481難易度 ☆☆☆☆

    豊臣秀吉が築いた大阪の城はどれか?

    正解:大坂城
    解説:大坂城は秀吉が1583年から築城を始めた城で、石山本願寺の跡地に建てられた。天守の高さや規模は当時最大級で、全国統一の拠点となった。現在の大坂城天守は1931年に再建されたもの。
  2. 482難易度 ★★☆☆☆

    豊臣秀吉が行った朝鮮への2度の出兵を何というか?

    正解:文禄・慶長の役
    解説:秀吉は1592年(文禄の役・壬辰倭乱)と1597年(慶長の役・丁酉倭乱)の2度にわたり朝鮮に出兵した。明・朝鮮軍の抵抗と1598年の秀吉の死により撤退。この出兵で国内の財政・兵力が消耗した。
  3. 483難易度 ★★★☆☆

    徳川家康が武田信玄に大敗を喫した1572年の戦いはどれか?

    正解:三方ヶ原の戦い
    解説:三方ヶ原の戦い(1572年)は信玄が上洛途中に家康の浜松城近くで挑んだ合戦。家康は大敗し辛うじて逃れた。家康がこの恐怖を忘れないよう自身の「しかみ像(顰像)」を描かせたという逸話がある。
  4. 484難易度 ☆☆☆☆

    豊臣秀吉の死後、天下の覇権を争った1600年の大合戦はどれか?

    正解:関ヶ原の戦い
    解説:関ヶ原の戦い(1600年10月21日)は徳川家康率いる東軍と石田三成ら西軍の天下分け目の戦い。東軍が約6時間で勝利し、家康が実権を握るきっかけとなった。この後1603年に江戸幕府が開かれた。
  5. 485難易度 ☆☆☆☆

    徳川家康が征夷大将軍に任じられ江戸幕府を開いた年はどれか?

    正解:1603年
    解説:徳川家康は関ヶ原の戦い(1600年)に勝利した後、1603年に征夷大将軍に任じられ江戸(現・東京)に幕府を開いた。その後将軍職を息子の秀忠に譲り(1605年)、徳川氏の世襲を示した。
  6. 486難易度 ★★☆☆☆

    鎌倉時代に御家人が将軍に奉仕し、将軍が御家人を保護・御恩を与えるという関係を何というか?

    正解:御恩と奉公
    解説:御恩と奉公は鎌倉幕府の基本的な主従関係。将軍(頼朝)は御家人の所領を認定・安堵し(御恩)、御家人は戦時の軍役や平時の番役で奉仕した(奉公)。この双務的な関係が幕府を支えた。
  7. 487難易度 ★★★★

    鎌倉幕府の財政的基盤となった、守護・地頭が荘園・公領を管理する仕組みで地頭が実力で土地を奪うことを何というか?

    正解:地頭押領
    解説:地頭押領(おうりょう)は地頭が荘園の年貢を横取りしたり、土地を実力で支配する行為。荘園領主と地頭の紛争が頻発し、土地を折半する「下地中分」や、地頭が年貢を一括して納める「地頭請」などの解決策がとられた。
  8. 488難易度 ★★★★

    北条時宗が元寇に際し、元の使者を処刑した行動として知られる場所はどれか?

    正解:鎌倉
    解説:北条時宗(1251〜1284年)は弘安の役(1281年)の前、元から届いた「降伏せよ」という国書を無視し、使者5名を鎌倉の竜口で処刑した。これは当時の外交慣習を無視した強硬策で、時宗の毅然たる姿勢を示した。
  9. 489難易度 ★★★☆☆

    応仁の乱で西軍の総大将となった守護大名はどれか?

    正解:山名宗全(持豊)
    解説:応仁の乱(1467〜1477年)では山名宗全(持豊)が西軍を率いた。「山名は六分の一殿」とも呼ばれるほどの大勢力を持ち、細川勝元率いる東軍と対立した。両者は開戦翌年(1473年)に相次いで没した。
  10. 490難易度 ★★★☆☆

    室町幕府で将軍を補佐し、主に東国の大名が就いた役職はどれか?

    正解:管領
    解説:管領は室町幕府で将軍を補佐した最高の役職で、細川・畠山・斯波の三家(三管領)が交代で就任した。鎌倉幕府の執権に相当するが、鎌倉幕府の執権ほど強力な権力は持てなかった。
  11. 491難易度 ★★★☆☆

    戦国時代に相模(神奈川県)を本拠地とした後北条氏の初代は誰か?

    正解:北条早雲(伊勢盛時)
    解説:北条早雲(伊勢盛時、1432?〜1519年)は伊豆・相模を制圧した戦国大名の先駆け。下克上の代表例とされ、後の後北条氏5代の繁栄の基礎を築いた。ただし「北条」の名を名乗ったのは子の氏綱からで、早雲は「伊勢」姓だった。
  12. 492難易度 ★★★★

    武田信玄が定めた甲州(山梨県)の法令で、戦国大名の分国法として有名なものはどれか?

    正解:甲州法度之次第(信玄家法)
    解説:甲州法度之次第(信玄家法)は武田信玄が定めた分国法で、55条からなる。家臣の統制、領民の支配、軍事規定などを定めた。今川仮名目録(今川氏)、塵芥集(伊達氏)なども戦国時代の有名な分国法。
  13. 493難易度 ★★★☆☆

    上杉謙信が越後(新潟県)の大名として有名な逸話で、武田信玄に塩を送ったとされる理由はどれか?

    正解:今川氏に塩の供給を断たれた信玄を義の心から助けたとされるから
    解説:「敵に塩を送る」という言葉の由来とされる逸話。今川氏真が武田領への塩の供給を断ったとき、上杉謙信が義侠心から塩を送ったとされる。ただしこの話の史料的裏付けは薄く、後世の創作とも言われる。
  14. 494難易度 ★★☆☆☆

    毛利元就が謀略により大内氏・尼子氏を倒し、中国地方の覇者となる前に有名な教訓として息子たちに語ったとされる話はどれか?

    正解:三本の矢
    解説:三本の矢の逸話は毛利元就(1497〜1571年)が三人の息子(隆元・元春・隆景)に、一本では折れるが三本束ねれば折れないと語って団結を説いたとされる話。史料的には後世の付会とも言われるが、元就の教訓状は現存する。
  15. 495難易度 ★★★☆☆

    大友宗麟・大村純忠・有馬晴信が天正遣欧少年使節をローマへ派遣した年はどれか?

    正解:1582年
    解説:天正遣欧少年使節(1582〜1590年)はキリシタン大名の大友宗麟・大村純忠・有馬晴信がイエズス会宣教師ヴァリニャーノの勧めでローマ教皇のもとへ派遣した4人の少年使節。伊東マンショら4人がローマ教皇グレゴリウス13世に謁見した。
  16. 496難易度 ☆☆☆☆

    豊臣秀吉の出自として正しいものはどれか?

    正解:農民の出身で、出世して天下人になった
    解説:豊臣秀吉(1537〜1598年)は尾張(愛知県)の農民の出身で、足軽として信長に仕えて頭角を現し、天下統一を果たした。「百姓から関白・太政大臣になった唯一の人物」として知られる。
  17. 497難易度 ★★★☆☆

    南北朝時代に南朝方の武将として活躍し、「七生報国」で知られる人物は誰か?

    正解:楠木正成
    解説:楠木正成(1294?〜1336年)は後醍醐天皇を支えた武将で、湊川の戦いで足利軍に敗れ自刃した。「たとえ七度生まれ変わっても、朝廷の敵を討つ」という「七生報国」の言葉で知られ、明治以降は軍国主義のシンボルとされた。
  18. 498難易度 ☆☆☆☆

    守護大名が下の者に実権を奪われる戦国時代の現象を何というか?

    正解:下克上
    解説:下克上(げこくじょう)は身分の下の者が上の者を実力で倒して権力を握る現象で、戦国時代の特徴。守護大名を倒した守護代(北条早雲・斎藤道三・松永久秀など)が戦国大名として自立するケースが多かった。
  19. 499難易度 ★★★☆☆

    室町幕府の財政収入を支えた、各地の商工業者の同業組合はどれか?

    正解:座(ざ)
    解説:座は公家・寺社などの権威のもとに商工業者が結成した同業者組合で、独占的な営業権を持った。室町幕府は座から税を徴収することで財政を補った。信長の楽市楽座は、この座の特権を廃止する政策だった。
  20. 500難易度 ★★★★

    鎌倉時代に庶民の間で広まった、阿弥陀仏を信じるだけで救われるという教えの法然の師はどれか?

    正解:源信(恵心僧都)
    解説:源信(942〜1017年)は平安時代後期の天台宗の僧で、「往生要集」を著して念仏による往生を説いた。法然はこの源信の教えに影響を受け、浄土宗を開いた。源信は恵心僧都とも呼ばれる。

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