毎日集まる新しいクイズで、ちょっとした知識を増やしましょう。

🏛️歴史クイズ 問題と解説

世界史・日本史の重要な出来事や人物に関するクイズです。古代文明から近現代史まで、歴史の流れを楽しく学べます。1207問のうち第921940問を掲載しています(47ページ目/全61ページ)。

  1. 921難易度 ★★★★

    1815年のウィーン会議でフランスの全権代表として出席し、敗戦国ながら巧みな外交で影響力を発揮した人物はだれか。

    正解:タレーラン
    解説:外相タレーランはウィーン会議で「正統主義」の原則を持ち出し、フランスを敗戦国から会議の主要プレイヤーへと引き上げることに成功した。四国同盟の結束を崩し、フランスが不利な条件を押し付けられるのを防いだ巧みな外交として知られる。
  2. 922難易度 ★★★☆☆

    ロシアでニコライ2世に反乱を起こし失敗した1905年の出来事のきっかけとなった「血の日曜日事件」はどの戦争の最中に起きたか。

    正解:日露戦争
    解説:日露戦争での敗勢が続く中、1905年1月22日に平和的デモ行進がロシア軍に銃撃された「血の日曜日事件」が起き、1905年革命の発端となった。ニコライ2世は「十月宣言」で国会(ドゥーマ)の設置を約束したが、専制体制は維持された。
  3. 923難易度 ★★★★

    19世紀のイギリスで電信の実用化に貢献し、1837年に電磁電信機の特許を取得したのはだれとだれか。

    正解:チャールズ・ウィートストンとウィリアム・クック
    解説:チャールズ・ウィートストンとウィリアム・フォザーギル・クックは1837年にイギリスで電磁電信機の特許を取得し、鉄道沿線での実用的電信システムを開発した。同時期にモールスがアメリカで独自の電信機を完成させ、電信技術は急速に世界に広まった。
  4. 924難易度 ★★★☆☆

    ナポレオン戦争後の1820年代にギリシャが独立を達成した際、支援したヨーロッパ諸国はどれか。

    正解:イギリス・フランス・ロシア
    解説:ギリシャ独立戦争(1821〜32年)でイギリス・フランス・ロシアは1827年のナヴァリノ海戦でオスマン艦隊を撃破してギリシャ側を支援した。1832年にはロンドン議定書でギリシャ独立が国際的に承認された。これはウィーン体制の保守原則に反する初の大きな変容だった。
  5. 925難易度 ★★☆☆☆

    産業革命期に工場制大量生産の普及によって打撃を受けた「家内制手工業(問屋制家内工業)」から移行した生産様式はどれか。

    正解:工場制機械工業
    解説:産業革命以前の生産様式はギルド→マニュファクチュア(工場制手工業、分業・協業)→家内制手工業と移行してきたが、産業革命により蒸気動力を使った工場制機械工業が中心となった。大量生産・分業・機械化が経済の主流となり、職人や農村家内工業従事者が打撃を受けた。
  6. 926難易度 ★★★★

    1867年に当時のプロイセン首相ビスマルクが設立した北ドイツ連邦の構成国数はいくつか。

    正解:22
    解説:1866年の普墺戦争勝利後、ビスマルクは1867年にプロイセンを中心とする北ドイツ22邦からなる北ドイツ連邦を結成した。南ドイツ4邦(バイエルン・ヴュルテンベルク・バーデン・ヘッセン)は普仏戦争後に加入し、1871年のドイツ帝国成立につながった。
  7. 927難易度 ★★☆☆☆

    1830年の七月革命後にフランスから独立したのはどの国か。

    正解:ベルギー
    解説:フランスの七月革命に触発されて1830年にベルギーでオランダからの独立運動が起き、翌年ロンドン会議でベルギーの独立・永世中立が国際的に承認された。これもウィーン体制の変容を示す重要な出来事だった。
  8. 928難易度 ★★★☆☆

    ロシアのアレクサンドル2世が暗殺されたのはいつか。

    正解:1881年
    解説:1881年3月、ロシア皇帝アレクサンドル2世は急進的革命組織「人民の意志」によるテロで暗殺された。農奴解放などの改革を進めた皇帝の死は改革の後退を招き、後継アレクサンドル3世の反動政治につながった。
  9. 929難易度 ★★★★

    19世紀後半にロシアで「民衆の中へ」運動(ナロードニキ運動)を展開した知識人たちの活動の目的はどれか。

    正解:農民を啓蒙して社会主義革命の担い手にすること
    解説:1870年代のロシアで「ナロードニキ(人民主義者)」と呼ばれる知識人が農村に入り込み、農民を啓蒙・組織化して社会変革を目指した運動(ブ・ナロード運動)を展開した。しかし農民の反応は冷淡で多くが逮捕され、一部は暗殺テロに転換した。
  10. 930難易度 ★★☆☆☆

    南北戦争後のアメリカで制定された憲法修正第13条の内容はどれか。

    正解:奴隷制の廃止
    解説:1865年に批准された憲法修正第13条は合衆国における奴隷制を廃止した。南北戦争の結果として成立し、リンカーンの奴隷解放宣言を憲法上に確定させるものだった。続く修正第14条(1868年)は市民権、第15条(1870年)は黒人男性参政権を規定した。
  11. 931難易度 ★★★☆☆

    1884年のベルリン会議でアフリカ分割の原則として採用された「実効支配」とはどういう意味か。

    正解:植民地として認められるには実際に軍事・行政的支配を及ぼす必要があるという原則
    解説:ベルリン会議では、アフリカの特定地域を植民地として主張するには単なる発見・宣言だけでなく実際の行政・軍事的支配(実効支配)を必要とする原則が採用された。この原則は列強間のアフリカ分割の「ルール」を定めるものだったが、現地住民は全く無視された。
  12. 932難易度 ★★★☆☆

    19世紀後半にロシアがアジアに南下する際に競合したイギリスとの対立関係を何と呼ぶか。

    正解:グレート・ゲーム
    解説:19世紀を通じてロシアが中央アジア・インド方面に南下しイギリスの植民地インドを脅かす中、両国は中央アジアでの覇権争いを繰り広げた。これを「グレート・ゲーム(グレート・ゲーム)」と呼ぶ。アフガニスタンが主な競合地点となった。
  13. 933難易度 ★★☆☆☆

    フランス第三共和政期(1870〜1940年)に起きた、ユダヤ人将校が冤罪で有罪判決を受けた事件はどれか。

    正解:ドレフュス事件
    解説:1894年にフランス陸軍のユダヤ系将校アルフレッド・ドレフュスが冤罪でスパイ罪に問われた事件。ゾラの「私は告発する」など知識人の擁護で再審が求められ、1906年に無罪が確定した。この事件は反ユダヤ主義・共和政の危機を浮き彫りにし、世論を二分した。
  14. 934難易度 ★★★☆☆

    19世紀の「東方問題」とは何を指すか。

    正解:オスマン帝国の弱体化に伴う領土・勢力圏をめぐるヨーロッパ列強の対立
    解説:「東方問題」とはオスマン帝国の衰退に伴い、バルカン・中東でロシア・イギリス・フランス・オーストリアなどが勢力圏・後継国家の支配権をめぐって対立した問題を総称する。クリミア戦争・露土戦争・バルカン戦争など19世紀〜20世紀初頭の多くの紛争の背景となった。
  15. 935難易度 ★★★☆☆

    1820年代にスペイン・ポルトガルの植民地であった中南米諸国が独立を達成した際、それを支持したのはどの国か。

    正解:イギリスとアメリカ
    解説:イギリスは中南米市場への自由な経済進出を望んでおり、独立を支持した。アメリカはモンロー宣言(1823年)でヨーロッパ列強の中南米への干渉を牽制した。両国の支援がウィーン体制による中南米再植民地化を阻止した。
  16. 936難易度 ★★★★

    産業革命期に資本家と労働者の対立が激化する中で、ロバート・オーウェンが実践した理想的な労働者共同体はどこに設立されたか。

    正解:スコットランドのニュー・ラナーク
    解説:ロバート・オーウェンはスコットランドのニュー・ラナーク紡績工場で労働時間短縮・児童労働廃止・学校設立など改革的な工場経営を実践した。後にアメリカのインディアナ州にニュー・ハーモニーという共同体を設立したが失敗した。
  17. 937難易度 ★★☆☆☆

    フランス革命期に処刑されたフランス王ルイ16世が処刑された年はいつか。

    正解:1793年
    解説:ルイ16世は1792年に国民公会で裁判にかけられ、1793年1月21日にパリのレヴォリューション広場でギロチンによって処刑された。王妃マリー・アントワネットも同年10月に処刑された。
  18. 938難易度 ★★★☆☆

    フランス革命で国王権力を制限した1791年憲法の特徴はどれか。

    正解:立憲君主制を定め、財産に基づく制限選挙を規定した
    解説:1791年憲法は立憲君主制を採用し、国王の権限を制限した。しかし選挙権は一定以上の税を納める「能動的市民」に限定されており、男性普通選挙ではなかった。革命の成果を保守的に安定させようとする当初の姿勢を反映していた。
  19. 939難易度 ★★★☆☆

    1848年に発表されたマルクス・エンゲルスの「共産党宣言」冒頭の有名な一文はどれか。

    正解:「一つの幽霊がヨーロッパを徘徊している——共産主義という幽霊が」
    解説:「共産党宣言」の書き出しは「一つの幽霊がヨーロッパを徘徊している——共産主義という幽霊が」という有名な一節で始まる。「万国の労働者よ、団結せよ」は宣言の末尾のスローガンである。
  20. 940難易度 ★★★☆☆

    19世紀後半にドイツ帝国でビスマルクが社会主義勢力を弾圧するために制定した法律はどれか。

    正解:社会主義者鎮圧法(社会主義者法)
    解説:ビスマルクは1878年に社会主義者鎮圧法(社会主義者法)を制定し、社会民主党の集会・出版・結社を禁止した。同時に社会保険制度(1883〜89年)を導入し、「アメとムチ」で労働者の支持を分断しようとした。法は1890年のビスマルク辞任後に廃止された。

このページは「歴史」カテゴリのクイズ問題と解説をまとめた学習用ページです。 実際に4択形式で挑戦したい方は 歴史クイズ から、全ジャンルからランダムに出題される 全カテゴリミックス もお試しください。